[参考]漢語の音には平仄(ひょうそく)(平は平らな音、仄は上がる音や下がる音や詰まる音)の分類があり、韻を踏まない句末では韻字とは平仄を反転させて変化を付ける決まりになっています。日本語詩の絶句型押韻では、漢語での平仄反転に代わる方法として、転句の句末の音数を一音だけ増やすことによって変化を付けるという方法をとっています。 |
春のあけぼの、まだ眠たい 鳥がチュンチュン鳴いとるわい 昨夜以来の嵐は去って 花が散ったか、ちと心配 [春眠 暁を覚えず 処処 啼鳥を聞く 夜来 風雨の声 花落つること知る 多少] 春病ばいどく 膀胱然 梅毒、痛みもなくじわじわ あちこち斑点出て怖いわ 覚えあるわい、こいつはやばい 鼻が落ちれば死の瀬戸際 [法病ふらんすびょうは痛みを覚えず 処処 斑点を見る 爾来じらい 不安の声 鼻落つること知り 多傷] (孟浩然「春暁」パロディー 枯骨閑人・作、掲載許諾) 梅雨に郷を憶う 頼山陽 雨が上がって日が差す古都 荷馬車パカパカ、乾いた音 思い起こすは故郷の我が家 庭に梅の実落ち、ぽとぽと [満巷の深泥 雨乍たちまち晴れ 輪蹄 絡繹として門を過ぎて行く 故園 昔日 西窓の底 臥して数う 黄梅の地に墜つるの声] 秋浦歌 其の十五 李白 伸びた白髪しらがは三千丈 ひどいストレス出たのだろう 鏡覗いてみりゃこの頭 まるで早霜かぶったよう [白髪三千丈 愁いに縁よりて箇かくの似ごとく長し 知らず 明鏡の裏うち 何処いずこか秋霜を得し] 時に憩う 良寛 薪たきぎ背負って山道下おり 行けばでこぼこ、この道のり 松の木の下、さて一休み 遠く聞こえる、春鳴く鳥 [薪たきぎを担いて 翠岑すいしんを下る 翠岑 路みちは平らかならず 時に憩う 長松ちょうしょうの下 静かに聞く 春禽しゅんきんの声] 金州城下の作 乃木希典 草木焼き尽くした戦災 はるか戦場、血生臭い 軍馬進まず、兵押し黙る 日暮れ、金州、立つ城外 [山川草木 転うたた荒涼 十里 風腥なまぐさし 新戦場 征馬前すすまず 人語らず 金州城外 斜陽に立つ] 竹里館 王維 藪の館の中、息抜き 琴を弾くのや詩吟が好き 誰も知らない我が竹里館ちくりかん こんな楽しみ、知るのは月 「独り坐す 幽篁ゆうこうの裏うち 彈琴し 復また長嘯ちょうしょうす 深林 人知らず 名月来たりて相照らす] 偶成 朱熹 ――解釈その一‥説教―― 君も老いまであと何年 若い頭脳を今鍛練 春に浮かれていてもう秋と 気付く時には取り返せん [少年老い易く 学成り難し 一寸の光陰 軽んず可べからず 未だ覚めず 池塘春草の夢 階前の梧葉 已すでに秋声] 偶成 朱熹 ――解釈その二‥自戒―― 学び尽くさぬまま老年 もはやうかうかしてはおれん 春の夢から覚めずにいたら 秋の落葉らくようもう目前 [少年老い易く 学成り難し 一寸の光陰 軽んず可べからず 未だ覚めず 池塘春草の夢 階前の梧葉 已すでに秋声] 静夜思 李白 寝床から庭見りゃ純白 これは霜かとつい錯覚 山を見上げりゃ十五夜の月 里を思ってせつなさ湧く [牀前しょうぜん 月光を看る 疑うらくは是これ地上の霜かと 頭こうべを挙げて山月を望み 頭を低たれて故郷を思う] 酒に対す 其の二 白楽天 狭い世でなぜいがむのだか 生まれ合わせの縁ある仲 隔てなく皆いっしょに飲もう 笑い知らずに生きるは馬鹿 [蝸牛角上 何事かを争う 石火光中 此の身を寄す 富に隋したがい貧に隋いて且しばらく歓楽せん 口を開いて笑わざるは是これ痴人] 偶感 古荘火海 偉い奴にもある間違い 言い争っても実りはない 言葉語らぬ自然を見ろよ 山は青々、花紅くれない [才子 元来 多く事を過あやまる 議論 畢竟ひっきょう 世に功無し 誰か知らん 黙黙 不言の裡うち 山は是これ青青 花は是紅なるを] |