No.9 1999/10/26
ハーモニー

 ブルガリアの民族音楽のコーラスを聞いた時には、多人数のコーラスでこんなにもハーモニーが美しい音楽があるのかと愕然としたものでした。「声が溶け合っている」とでも表現すればよいのでしょうか。好みの問題もあるかもしれませんが、西欧流のベルカント唱法(オペラのような歌い方)によるコーラスには感じたことのない美しい響きでした。
 学校の音楽教育では、「のどを大きく開けて、お腹から声を出すように」と教えられたものです。「のどから声を出すつもりで歌ってはいけません」とも。ベルカント唱法がそのような歌い方です。しかし、ブルガリアの民族音楽の発声はまったく違います。のどから声を出すような歌い方で、ビブラートがかかっていません。西欧流の音楽教育を受けた先生には「そんな歌い方はいけません」と言われそうな発声です。松任谷由実さんの発声がそれに近いですかね。
 数人のコーラスグループでは、サーカス(女性二人、男性二人のグループ)の無伴奏コーラスを美しく感じたことがあります。それと、私の好きな岩男潤子さんの歌「はじめまして」(ポニーキャニオンPCCG-00335「岩男潤子 はじめまして」より)で、ご本人一人の多重録音で作っているバックコーラスにも、声が溶け合うような美しさを感じました。
 反面、一人一人は上手なのにハモらない典型は、音楽番組でソロ歌手が組んで歌うコーラスです。ソロでは、周波数のゆらぎ(ビブラート)やリズムのゆらぎが歌を美しく感じさせ、それがその歌手の個性を形成しています。しかし、そのように訓練された歌手がコーラスをやると、声が溶け合うはずがありません。それは極端な例としても、超一流とされるベテランのコーラスグループにも、私は声が溶け合うような美しいハーモニーを感じることはめったにありません。上手ではあるけれども、各パート一人一人の個性が別々に聞き取れるといった感じです。

 溶け合うようなハーモニーになるためには、たぶん以下の条件が必要になると思います。
 まず、一人一人が正確な音程を持続できること。そして、ビブラートをかけないこと(周波数がゆらぐとハモりませんから)。
 また、一人一人が自分の個性を主張せず、ひたすらほかのメンバーの声と協調して、和音が美しく響くように声を調整すること。各パートがピアノなどの楽器を基準として正確な音程を出しても、おそらくは理想的な響きにはならないと思います。和音は周波数が単純な整数比であるときに最も美しく響きますが、ピアノなどの固定ピッチの楽器は平均律音階に調律されていて、完璧に理想的な和音が出せないからです(この話は次回に)。
 そして、私の経験からは、無伴奏であった方がよさそうだということ。声が溶け合うようなハーモニーを私が感じた例は、いずれも無伴奏でした。平均律音階の楽器に邪魔されない方が、人の声によるハーモニーが美しく聞こえるのではないかと思っています。

 ところで、話は変わりますが、何十台ものピアノの連弾をテレビで見たことがあります。いやはや、そのハーモニーたるやひどいものでした。おそらく、ピアノ一台一台はきちんと調律されていたに違いありません。しかし、ピアノの調律は、各弦が計算値どおりの周波数で振動するようにすればよいというものではなく、人の聴感やピアノ一台ごとの特性に応じて微妙に調整するものだそうです(だから調律は機械化できない)。つまり、ピアノは「個性を主張する楽器」なので、(2台の連弾ならともかく)何十台も集めて連弾してはハモらないのでしょう。
 たくさん集まってはハモらない楽器なんだから、ピアノで大合奏をするなら、いっそのことホンキートンクでやったらおもしろいかもしれません。
 ホンキートンク:アメリカの開拓時代に、馬車で運んで調律が狂ったピアノを、調律師不足のため、狂ったまま弾いたのがルーツ。一音を構成する2〜3本の弦の周波数をわざと微妙にずらし、音がうなるように調律している。

 こんなうんちくをたれた私は、音楽には素人です。大学時代にフォークソングサークルでギターをいじっていたのと、電子オルガンを少し独習したことがあるという程度です。歌はへたです(でも、音感は比較的鋭くて、ピアノの調律の狂いには気持ち悪くなる)。音楽に詳しい方からのコメントをいただければ幸いです(こちらへ)。

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