昔、「はひふへほ」は「ふぁふぃふふぇふぉ」と発音されていたことが、ポルトガル人宣教師が残した日本語辞書などの記録から知られています。その子音は、英語のf音のように上の歯を下唇に触れる発音ではなく、ろうそくの火を吹き消すときのように唇をすぼめて息を吹き出す発音でした。今でも「ふ」だけはその子音です。ヘボン式ローマ字でハ行を「ha hi fu he ho」と書くのは、ヘボン博士(Dr. James Curtis Hepburn, 1815-1911)が、「ふ」の子音がh音とは違うと分析したからでしょう。
さらに古代では「ぱぴぷぺぽ」という発音だったことが知られています。琉球方言には古代日本語の発音の名残があって、「花」を「ぱな」と言うそうです。
つまり、古代には「ぱぴぷぺぽ」と発音されていたものが、唇をちゃんと閉じない「ふぁふぃふふぇふぉ」に変化し、その後さらに発音がずぼらになって、「ふ」以外はh音になったのです。一方、「ふぁ」の子音が有声化して「わ」になるという別系統の変化もありました。助詞の「は」が「わ」と発音されるのはその名残です。
この話から私はふと気付きました。「母」は古代には「ぱぱ」と発音されていたということです。p音を有声化すればb音になって「ばば」(婆)。これは祖母を意味する。一方、「ちち」の子音を有声化した「ぢぢ」(爺)は祖父。うーん、きわめて規則的だ。
つまり、「母」の古代発音は、英語などのヨーロッパ言語の幼児語で「父」を意味する「パパ」と同じ。じゃあ、ヨーロッパ言語で「母」を意味する「ママ」(ただし、フランス語ではママン、イタリア語ではマンマ)に類する日本語の幼児語は?ありますねえ。「ご飯」を意味する「まんま」です。
乳児にとって最も発音しやすく、最初に発する言葉が「んまんま」。そこで母親が語りかけた言葉が、ヨーロッパでは「そうよ、お母さんよ」。それで「ママ」が母を意味するようになった。日本では「あら、そう、お腹がすいたのね」と語りかけて、それで「まんま」がご飯を意味するようになった。そのように考えられます。
そして、乳児がその次に発音しやすい「ぱぱ」を発した時、ヨーロッパでは母親が父親に「ほら、あなたを呼んでいるわよ」。日本ではまだ父親は登場せず、この段階で母親が「そうよ、お母さんよ」と語りかけたのではないでしょうか。
じゃあ、古代日本では、どの段階で父親が登場したのでしょうか。「ちち」は、乳児にとってさほど自然に発しやすい言葉だとは思えません。乳児の成長がかなり進んでからようやく、乳児が発する言葉が父親に譲られたのでしょうか。うがった見方をすれば、古代、ヨーロッパに比べて日本では、乳児と父親との触れ合いが少なかったのかな。
言葉の歴史をたどっていくと、意外なところで日本語とヨーロッパ言語との共通性と微妙な違いがあるものだと思ったのでありました。
ところで、「父」と「乳」が同音なのは、単なる偶然なのでしょうか。それとも何らかの理由があったのでしょうか。うーん、謎だ。ご存じの方がおられましたら
教えてください。