No.109 2001/10/14
「じゃない」

 日本語教育情報誌「月刊日本語」の1998年11月号にこんな解説記事があったそうです。ここに、“批評や研究の目的上正当と認められる範囲内”(著作権法第三十二条)で引用します。
Q. 「〜ないじゃない」の解釈の仕方は?
 ボランティアで教えている学習者に、「日本人に『ないじゃない』と言われると、あるのかないのか、迷ってしまう」と説明を求められました。そういえば、『お座敷小唄』という歌にも「雪に変わりはないじゃなし……」という歌詞があります。これは、どういうふうに解釈すればいいのでしょうか。

A. 歌詞「雪に変わりはないじゃなし」の「なし」は打ち消しを意味する形容詞ではなく、間投助詞。文節末に付いて、強調を表す。
【解説】奥秋義信

 ご質問の歌詞の部分は、多くの人がちょっと気になりながら歌っているのではないでしょうか。
 「ないじゃなし」なので、〈雪に変わりがある〉という意かと思うと、つづく歌詞が「とけて流れりゃみな同じ」となっています。人々は口ずさみながら「あれ?」と思うわけです。
 一見〈変わりがある〉を表す文脈と、〈変わりはない〉という文脈とが照応しません。「あるじゃなし」のミスプリントでは、と思う人がいても無理からぬ気もします。
 実は、「ないじゃなし」の「なし」は、形容詞「ない」を表す「なし」ではありません。「ある・なし」を表す言葉ではないのです。文節(文の中の最小単位)末に用いる“間投助詞”であると気づいてください。
…(略)…
 間投助詞の「なし」は、文芸作品や方言にも多くみられます。島崎藤村の『夜明け前』では、「美しい人だったぞなし」と用いられています。愛媛県南部では「お暑いなし」などと使われています。
 美しい人ではなかったと述べているわけでも、暑くないと言っているのでもありません。美しい人、暑い、を強調しているのです。
…(略)…
 以上でおわかりのように、ご質問の歌詞は、〈雪に変わりはないじゃないか〉というこころで、後の文節に引き継いでいます。だから「とけて流れりゃみな同じ」なのです。なお、間投助詞が文中や文末に自由に用いられるため、副助詞と混同されがちですが、副助詞は主語、述語、連用修飾語、連体修飾語に付き意味を限定するという点で、区別されます。

〔おくあき よしのぶ〕―評論家、元・西日本短期大学教授

 私は、学識ある人がこのようなことを書いていることに愕然としました。
 奥秋氏は二つの誤りを犯しています。一つは、「雪に変わりはないじゃなし」の「なし」は間投助詞だとしていることです。間投助詞(例:「それは、…」)とは、原文の中で奥秋氏自身が解説しているように、文の意味や文の成立に影響を与えないものです。つまり、取り除いても、強調などのニュアンスが変わるだけで意味は変わらないものです。では、「なし」を取り除くとどうなりますか?「雪に変わりはないじゃ」。どこかの方言としてはともかく、標準日本語としては成り立たない文になります。このことから、「なし」が間投助詞でないことは明らかです。
 そしてもう一つの誤りは、「雪に変わりはないじゃなし」について説明しただけで、肝心の「〜ないじゃない」という話し言葉についての質問にまったく答えていないことです。

 では、この問題について私の見解を述べましょう。
 問題になっている「お座敷小唄」の歌詞は次のとおりです。
♪富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も
♪雪に変わりはないじゃなし 融けて流れりゃ皆同じ
(作詞:不詳、作曲:陸奥明、歌:和田弘とマヒナ・スターズ)
 「雪に変わりはないじゃなし」という部分は、フォーマルな日本語文で表すならば「雪に変わりはないではないか」であるべきものです。これは、「雪に変わりはない」をいったん「ではない」と否定してから、それに「か」で疑問を呈することによって、「雪に変わりはない。そうでしょう?」と主張する反語表現です。
 ところが、疑問の終助詞「か」は、女性言葉としては、婉曲さを欠くきつい言い方として避けられます。たとえば「行くのか?」は女性が言うのは下品とされ、女性は「か」を落として「行くの?」という言い方をするのが普通です。そのため、「雪に変わりはないじゃない?」のような言い方が定着し、これが男性の話し言葉にも広まっています。
 さて、女性言葉での反語表現が「変わりはないじゃない?」と尻上がりに発音されて(文字で書かれる時には疑問符を付けて)疑問文としての形を保っているうちはいいのですが、ややこしいことに、「変わりはない」という強い主張の気持ちを込めるあまり、「変わりはないじゃない!」と尻下がりに発音されることもあります。つまり、疑問文としての形を失った反語表現が広まってしまいました。「変わりはない」を「じゃない(=ではない)」と否定しているように見えながら否定していないという表現です。
 このことから、「お座敷小唄」の作詞者は、「雪に変わりはないじゃない」で「雪に変わりはない」と言っていることになると思い、それをちょっと気取った表現にするために形容詞「ない」を古典的活用形「なし」に置き換えて「雪に変わりはないじゃなし」としたのでしょう。「ない」を「なし」に替えれば、その直後に疑問の終助詞「か」が隠されているという反語表現としての解釈は不可能になります。したがって、「雪に変わりはないわけではあるまいし(=変わりはある)」と解釈されてしまいます。「雪に変わりはあるじゃなし」としていれば、「変わりはない」という意味と解釈されたでしょう。
 結局のところ、「雪に変わりはないじゃなし」は日本語として誤りであるというのが私の見解です。

 “疑問文としての形を失った反語表現”は、外国の日本語学習者にとってはやっかいな問題でしょう。実際、流行歌の歌詞にも、「じゃない」の意味が正反対のものがあります。
♪だってしょうがないじゃない
=「しようがない。そうでしょう?」;反語
(「だってしょうがないじゃない」作詞:川村真澄、作曲:馬飼野康二、歌:和田アキ子)
♪愛されたくて愛したんじゃない 燃える想いをあなたにぶっつけただけなの
=「愛されたくて愛したのではない」;否定
(「恋のハレルヤ」作詞:なかにし礼、作曲:鈴木邦彦、歌:黛ジュン)
 話し言葉でも同様です。
「あ、花子さんじゃない!どうしてここに?」
=「花子さんだ」;反語
「あ、花子さんじゃない!この人は誰?」
=「花子さんではない」;否定
 話し言葉では、反語の場合には「じゃ」よりも「ない」が低いイントネーションで、否定の場合には「ない」がやや高いイントネーションで発音されるようですが、外国人がそれを聞き分けるのはむずかしいでしょう。文字で書かれている場合や歌の歌詞では、前後関係や状況から判断するしかありません。外国人に対する日本語教育では、まったくやっかいな問題です。

謝辞 この記事の元になった情報は、辺見歯科医院さんのサイトの掲示板で、Gabacho-Net BBSの常連さんのunspecさんからいただきました。お礼申し上げます。

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